魚葬

2005年5月3日 旅行
 仕事終わった後、家で冷蔵庫の残りものでつくったご飯を食べつつ、最後の梱包。こういう時って見直せば、見直す程、持っていったほうがいいものが見つかるのはなぜだろう。とりあえず切り上げて、京急にのって羽田空港。国際線ターミナルは、でかい鞄をもった服装リゾート、でもここはまだ日本で寒いぞという人であふれかえっており、ゴールデンウィークを全員が好きな時に休める公休(西洋式にバカンス)に変えたら、一極集中の弊害もなくなり、旅行も出かけやすくなるので、いいんじゃないのかな。
 真夜中過ぎのフライトなのに、機内上映の映画を全部見てしまい(そういうのに限って大してつまんなかったりする)、充血うさぎ目でセブ島到着。あつーーーい。湿度も高くて、肌の水分含有量があがっていくのがわかる。リゾートまで行く車から見える風景は、大阪で言えば新世界、東京で言えば泪橋を更にいぶしをいれた感じでしょうか、昭和30年代ぐらいの日本な建物が立ち並ぶ中で、ぽつぽつと現代日本な風景がある不思議な感じ。携帯電話の広告看板が目立つ。普通にタクシー捕まえて、街中散策しようと企んでいたんだけど、こりゃちょっと無理かもと頭をかすめた。
 滞在先についてすぎに、シュノーケリングに出かけた(ダイビングをしたかったのだけど、J君は嫌らしいので)。水面に入るまでもなく、魚が動いているのが普通に見える。水族館の大水槽の中に漂い、水面に顔をつけると、鮮やかな魚群が急ターンをしながら動き、珊瑚のある海底の方にはダイバーの集団が見え、パン屑を手から離すと、一斉に魚が大集合をいう、水族館好きにはたまらない時間だった。

 パン屑を手で離しながらやるのだけども、慌てん坊さんが私の指をついばんでしまった時、思いのほか痛く(ちょこっと皮が向けた)、海で死んだのなら、こうやって魚の栄養になりながら朽ちることを実感した。鳥葬は鳥のえさになり、海では魚のえさになる、食物連鎖は続く。火葬されて煙となって天に舞うよりも、そのサークルの中に入るのも悪くないと思った。

葬式なんて糞くらえだし、墓も立派な戒名も一切拒否したいが、願うなら魚のえさになる魚葬をされたい。

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